荷を下ろしたその先に

ずっと背負い続けてきた荷を下ろした時に見える世界

不安ざわざわMAX!

こんにちは ななこです。

 

連休中に実家に戻っていました。

義姉や可愛い姪っ子やその子供たちと楽しい時間を過ごしたはず、なのですが。

楽しく過ごしている間中、もやもやザワザワが続いていました。時には言い知らぬ恐怖すら。

そしてそれには気づいていて、あれ、なんか不安だな、もやもやするな。

楽しいのに変だなと。

でも1人の時と違い、そこを感じたり思考を止めたりが出来なくてその気持ちを無理矢理追いやる感じでやり過ごしていました。

楽しいのに苦しい、変な気持ちで帰宅しました。

 

よくよく見てみると、その不快感の底にはやはり自分は孤独で誰も助けてくれない、がありました。

義姉も姪っ子も甥っ子もみんなパートナーがいてちゃんとお金も稼いでいるのに私にはそれがない。

私は孤独。頼るものがない。

老いた母が死んだら私は独りぼっちだ。

お金とパートナーという私の1番のウィークポイントをついてきました、左脳さんが。

ザワザワモヤモヤという感覚なので思考とは関係ないと思っていたけど、その感覚の元はやはり思考だった。

人と一緒にいるとどうしても意識が外に向くのでそのかすかなBGMのように流れる思考には気づけなくてなんか変だな?楽しいのになんでこんな不快なんだろう?と思うけどその原因がわからなかった。

 

今朝目覚めてもその不快感はあり、恐怖にすら感じてめげた。

あぁいやだ、こんなの。

なんでこんな不足感に悩まされなきゃならないんだろう。

幻想だとわかっているのに。

未来という存在しない幻に苦しめられるなんてウンザリだ。

 

神様、この不足という幻を取り除いてください。私の中に既にある充足に気づかせてください!私を変えてください!と祈ったら少し軽くなった、気がする。。

 

既にあるのに気づけないもどかしさ。

気づきをコントロール出来たらどんなに楽だろう。今すぐに気づきたいのに。

足元にあると言うのに見えない!わからない!

苦しすぎてムリ!

 

これがネドさんのいう左脳の逆襲?

いや、私はそれほど思考を止められていないから逆襲されるまでもないんだけどな。

自分1人の時間が少なくて外側に向きすぎたから苦しいのかな。

やはり内側を感じる時間はかなり重要なんだな。

今振り返ると以前から実家に戻った時は不安や恐れが大きくなる傾向にあった気がする。

いつかいなくなる母を目の前にするからかも知らませんが。

子供の頃あんなに怖くて顔色を伺っていた母でもいなくなるとなるとすごく怖い。

老いてから穏やかになって、あの頃の罪滅ぼしなのかお小遣いをくれたり欲しいものはないのかと聞いてくれるようになった母。

だからなおさら、母を失う恐怖があるのかもしれない。子供の頃欲しかった優しい母をやっと今得られたから。

母を失ったら誰も私を愛してくれない。母を失う前にパートナーが欲しい。

心の底でこう願っている自分がいる。

 

誰か私を守って欲しい。

いつも怖くて怖くて不安で仕方なかった小さな私。

誰かに守られて安心したい!!

これが子供の頃からの痛切な願いだったことにやっと気付いたのでした。

 

本当は神様が守ってくれてるはずだけど

神様は知らんぷりするのでは?

だって今まで助けてくれなかったよね?

神様に最良をお願いしても、私にはそこそこの物しか与えてくれないのでは?

最新のiPhoneを望んでも型落ちのそこそこの物で我慢しなさいと言われそうな気がして、はじめから型落ちでも充分だと諦めていたことに気づいて驚いた。最新を望んでそれを得られなかった時に傷つかなくて済むように。

あぁ、私は自分の価値をまだこんなにも低く見ていたのか。私に対する最良は「そこそこ」だと心の底で確信していた。

だってずっと「そこそこ」だったよね?

どんだけ自己価値が低かったのか思い知った。

あぁもう、こんな想いもひっくるめて変えてください神様。

「そこそこの人生」はもうウンザリです。

もともと持っているならその幸せを早く見せて欲しい!もう焦らさないで!!と思ってしまう。

でも、結局その「既にある幸せに気付く」のも「不安ざわざわ」への対処も思考を止めるしかない、思考を止めて神様に丸投げするしかない。思考を止めればとりあえず楽になるから、ざわざわも治まるから、私がやることは結局それしかない。

あとは神様を信じきれない私を変えてください、心から信頼できる者に!

丸投げ出来る者に!

私にはもうムリっす!