荷を下ろしたその先に

ずっと背負い続けてきた荷を下ろした時に見える世界

お金の定義

こんにちは ななこです。

 

以前コメント欄でやんぴさんに定義について教えていただきました。

 

私達は各々、
「定義」を持っています。
「定義」とは「概念」を結びつけたものです。
たとえば「お金持ち」という「概念」と
「幸せ」という「概念」が結びついた時
「お金持ちだから幸せ」という「定義」や
「お金持ちじゃないと幸せではない」という「定義」が生まれます。

この「定義」は、
ほとんどの場合、無意識のうちに形成されます。

「定義」とは
この世界の「枠組み」のような働きをします。
各々の「定義」に基づいた世界を
各々が「体験」します。

 

で、今日は私のお金についての定義を見てみました。

 

働かないとお金は入ってこない

お金を稼ぐのは大変だ

お金は使うとなくなる

お金を沢山持つと取られる(税金とか)

お金があれば幸せだ

お金はタダで貰えない

お金があれば何でも出来る

お金がないと我慢を強いられる

お金がないと惨めだ

お金を手に入れるのは恵まれた人だけだ

私はお金に縁がない

お金がないと大変なことになる

お金を無駄遣いすると後で困ることになる

お金はなかなか貯まらない

お金は貯まると出て行く

 

 

まだまだ沢山出てきそうだけどとりあえずこの位で。

 

「私」と「お金」という概念の結びつきからできたこれらの「定義」が現実に現れているのだとしたら…

 

確かに私の現実は定義の通りだ。

 

子供の頃からずっと貧乏だったし、大人になった今でもお金に恵まれた経験が皆無だし。

 

で、これらはいらないと思うなら取っ払って良いというけれど、

それは途方もなく大変な気がして来た(^^;

あまりに定義に雁字搦め過ぎて自分の手に負えるのだろうか?

 

これらを解放する方法が「不足を疑う」だとして、なんだかすごく大変な気がする。

一つ一つ疑って…って

キリがない。

 

これ、荷を背負っちゃってるよね?

だとしたら何か捉え方が間違ってるよね?

 

大変な事、嫌なことは全部ウソだと108さんも言ってたし。

 

「楽になる」がゴールなら、

「定義を取っ払えなくてもまあいっかー」で良いのかな?

 

それか

「私のお金の不足、全部ほんとかな?」とひっくるめて疑っちゃうとか?

 

やんぴさんがおっしゃっている

「定義から解放されてください」って、

楽になってくださいってことだもんね。

 

これでまた雁字搦めになってたら意味ない。

 

とにかく「楽になる」方向が正解なんだから

 

「全部の定義を取っ払わないと幸せになれない」

なんて、またうっかり完璧主義のエゴのウソに乗っかるところだったなーー

アブナイアブナイ

 

私のエゴってほんとしつこい。

最後の足掻きかな?