荷を下ろしたその先に

ずっと背負い続けてきた荷を下ろした時に見える世界

復活からの沼ふたたび

こんにちは ななこです。

 

また沼っております。

ほんと、しつこいエゴたん。

復活からの沼。

何回繰り返すんだろう?

 

エゴの「わかった!」はあてにならない、ということがよーーーっくわかった笑

もうわかるとか必要なくない?

どうせまたわからなくなるんなら。

その「わかった」と叶ってる事は関係ないのならなおさら。

でもついつい求めちゃうんだな、スッキリしたくて。

 

全部自分の認識次第だよ、とわかってるのに答えが欲しくなる。

自分で決めれば良い、の決めるって何?

いえ、達人さんの言ってる事はわかってる。

でも決めたつもりになっちゃわない?

そんな簡単に決められたら苦労しないよ、とエゴは言う。

そうだよねぇ、の世界が展開する。

のはわかる。

でもわからないのにわかった!なんて思えないよね?

わかったフリの世界が展開するだけだよね?

 

こまけぇさんも良くおっしゃってるけど、「そう思うからそうなる」って、ホントわかってるの。でも、その「そう思う」って自然に思っちゃってるよね?

認識を変えるってその「そう思う」を変えるってことだよね?

そんな簡単に変わらないよ!って思うから

「そんな簡単に変わらない」世界になるんだよね。

そんなこと言ったってどうすれば!?

とエゴに塗れるわけですが。。

そんなエゴから「自分=世界」を理解するための方法?をこまけぇさんが書き込みしてくれてました。

 

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「自分=世界」をエゴの視点から理解するには、やはり日常において如何に不足まみれになっているかに気付き、それがそのまま世界に反映されているかを実感する方が手っ取り早いかと思います。
ただこの不足感というのはかなり巧妙で、現実に打ちのめされた時のような痛みのある不足感のみならず、痛みを伴わない染みのように定着した不足感もあるので、エゴの立ち位置から対処していくにはしっかりとそこを捉えていく必要があります。

その染みついた不足感を捉えるには「なる」のメソッドが最良のリトマス紙となります。これは「なる」というメソッドの罠でもあるのですが、ある意中の人と恋人に「なった」とします。「よし、自分は〇〇さんの恋人になった、るんるん」だなんて嬉しくなります。見えている景色がキラキラとします。まあ、ここまでは問題ないのですが(危ないヤツですが)、ここでおそらくほとんどの方がさらに「道を歩いていれば〇〇さんと運命の出会いを果たすかも」とちょっと奇妙な思考に行き当たったしまうんですね。何が奇妙かと言えば、エキスパートの皆さんはもうおわかりですね。

(勝手に読者の心を汲み取り)…その通りです。
既に〇〇さんの恋人であるはずなのに、〇〇さんとまだ恋人じゃない前提で街でバッタリとドラマみたいな展開が起きないかと不足(恋人じゃない)の立ち位置になっているんですね。

つまりこれはエゴの染みついた習性で、現実に何かを求めてしまっているんです。内面状態が快であるにも拘らず。

なるを「手段」(こうすれば現実に変化がある)と考えている限り、つまり俗に言う「doing」として捉えている限りは内面がハッピーであろうがなかろうが、不足を前提としたものなのです。ハッピーな片思いが続くだけです。


 

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はっきりとした不足感にはすぐ気づくけど、痛みを伴わない不足感なんてわかるはずもなく。

そしてこの「ハッピーな片思い」という言葉に愕然…

 

意識が変わって内面が快になった

彼との間に何か進展があるかも?♡

↑↑↑↑↑↑↑↑

これが不足の立ち位置だと気づいてない。

叶っていたら進展するかも?なんて期待はしないはずだから。

ゆえにこのままだとハッピーな片思いが延々と続くよどこまでも…orz

 

なかなか一筋縄ではいかないこの不足感。

ほんとに身体の髄まで染み込んでいる気がして途方にくれる。。

充足の立ち位置にいるつもりが気付かぬうちに不足の立ち位置へ。

 

もう、ほんとにお手上げ。

どこまでいっても「私」というエゴが何かしようとしちゃうんだから。

人間体と一体化しちゃうんだから。

そんな時はもう適切性の一致なんてどこかへ吹っ飛んでるよね笑

もう笑うしかない、ほんとに。

 

この沼はいつまで続くのかなーー