荷を下ろしたその先に

ずっと背負い続けてきた荷を下ろした時に見える世界

定義からの解放

不足を疑うの記事でやんぴさんにいただいたコメントに対して

 

>定義が壊れたらどんな世界が現れるんでしょう。

「パートナーがいる」と「幸せ」の関連付けがなくなった時、現れるのが「パートナーがいなくても幸せ」だったら嫌だな、と思ってしまいました。
「孤独だけど幸せ」は私の望む世界じゃないから。
幸せならいいじゃないか、と言われそうですけど…

やはりパートナーがいて2人で幸せな世界を体験したいのです。

 

とコメントしたのですが、これがよく108さんがおっしゃっている身体の一部にだけピンポイントに太陽を当てて欲しい!それ以外はいらない!!ということ。

だけど太陽にはそんな機能は無く遮るのをやめれば全身に光が当たるのに、そこにはピンポイントの幸せも含まれるのに、という事なんだなと気付きました。

108さんの該当動画はこちら 1:22あたりから

https://youtu.be/p2It63qQbk8

 

やはり全身に太陽の光が当たること(充足につつまれること)が信じられないんだなぁ。

 

何もしないのに充足に塗れるなんて

そんな都合の良いことがあるわけない!と思い込んでしまっている。

 

という事は何かしないと幸せになれないという定義があるってこと。

 

私の中にはてんこ盛りの定義がありそうだ。

 

自分で作った定義だけど自分で壊せる気がしない。

 

無意識に作ったものは意識的には壊せない。

これも定義だなー